仙台ならではの
プライオリティを伝える
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「パティスリー ミティーク」
代表
土田 俊也さん
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「カフェ ミティーク」
代表
土田 誠也さん
15年前、宮町通りに誕生した小さなパティスリー。
それが今や、大企業や有名キャラクターとのコラボレーションを次々と果たす全国でも屈指の有名店となった。可憐で楽しく、新しいおいしさが詰まったケーキ。そしてそれを、もっと豊かにするコーヒーやお茶、寛ぎのある空間。パティスリーとカフェの両翼で、土田俊也さん・誠也さん兄弟はさらなる飛翔を続ける。
俊也さん──私が料理人を志した18歳の頃は、パティシエという言葉自体がまだ一般には全く知られていない時代でした。当時、私はホテルの洋食部門に入ったのですが、製菓のセクションに手が足りないから、と駆り出されて、それを手伝ううちにケーキそのものに大きな魅力を感じて。ケーキって、すごく綺麗じゃないですか。綺麗で、人を幸せにしてくれるおいしさ。栄養学的にどうこう、というよりも、心の栄養になるもの。そこにとても惹かれたんです。同時に、ケーキやデザートへの世間の注目も高まりはじめて、製菓技術やケーキ専門の機械もものすごく進歩した時でした。これまでにないケーキの味やかたちを生み出す先鋭的なパティシエの登場があるかと思えば、機械化・全自動化によって量産型のケーキ店もとても増えた。2、3年の短い間で大きく様変わりしたんですね。そうした時代の趨勢に背中を押されて、「パティスリー ミティーク」をオープンしました。
宮町の一隅、どこか浮世離れしたクラシカルな外観。扉を開ければ、ショーケースには宝石のようなケーキたち。2階にイートインが楽しめるカフェを擁し、「パティスリー ミティーク」はいつしか遠方からも人の集まる人気店となっていった。そんな土田さんにとって大きなターニングポイントとなったのは、やはり東日本大震災だった。
俊也さん──2011年3月11日、その直前に弟の誠也さんが仙台に帰ってきていたんです。そして、そのままあの震災に遭って。
誠也さん──当時、私は神奈川でエンジンの設計士をしていました。もともと“手に職をつけたい”“ものづくりを仕事にしたい”という小さな頃からの思いで取り組んでいた仕事でしたが、毎日、仕事の合間に何杯も飲んでいたコーヒーの味に、「いろんなおいしさがあっておもしろいな」と興味を持ち始めたら止まらなくなっちゃって。……エンジンの設計とコーヒーを焙煎する過程って、実はとても似てるんですよね。焙煎するときには全てのデータを取るんですが、気温や湿度が1度違えば、まったく違う味になる。1分ごとの温度の上がり方でも、違う。ものすごく理数的な世界なんです。そんなところにも魅力を感じて、ゆくゆくは自分でカフェを開きたいと思い、カフェには不可欠であるケーキやデザートのプロフェッショナルである兄のところに弟子入りさせてもらおう、と行った時だったんです。
俊也さん──本震の直後からしばらくは水道もガスも使えなかったので、当然、営業はできなかった。誠也さんとふたり、「どうしよう」と顔を見合わせている状態でしたが、向かいの小学校を見てみたら、避難所になっていてたくさんの人が集まってきていたんです。でも、救援物資はまだほとんど届いていないし、スーパーやコンビニにも食料がない。でも、うちには2月のバレンタインデーや目の前に迫ったホワイトデーのためのチョコレートなどのストックがそれなりにあった。だから、ふたりでそれを小学校に持って行って配ったり、甘いもの以外にも小麦粉にチーズを入れてタコ焼き機で焼いて食べてもらったりしてました。
誠也さん──もしかしたら、私たち兄弟二人で何かを一緒にやったのって、それが初めてだったんじゃないかな。子供の頃は、3つ歳が離れてることもあってあまり一緒に遊んだ記憶とかないですもん。
俊也さん──うん。俺が社会人になった時って、誠也さん高校生だっけ?高校って通ってたっけ?
誠也さん──通ってたよ!(笑) どれだけ興味なかったんだよ(笑) それから5年、2階のカフェでバリスタとパティシエの修業をして腕を磨いたかたちです。
そして「パティスリー ミティーク」開店から10周年を迎えた2015年。
土田さん兄弟は仙台の街の中心地、東二番町通りに面したビルの2階に「カフェ ミティーク」をオープンさせた。ショーケースの中には、まばゆいばかりのケーキが踊るように陳列され、傍らにはケーキの詳細と相性のいいドリンクを記したカードが添えられている。
俊也さん──私は、その時期の季節感やその時にいい食材の活かしかたを考えて、“いま、これがいい”と思えるケーキを作っているだけ。それに合わせて誠也さんがぴったりのコーヒーやお茶を入れてくれるから、安心して自分の仕事に没頭できるんです。
誠也さん──兄が作るケーキはたくさんのファクターで緻密に構成されているから、それにジャストなコーヒーを、と考えていくのはとても大変。難しいけれど、楽しいチャレンジでもあります。
俊也さん──いや、最近ではもう私の方が誠也さんにおんぶに抱っこの状態ですよ(笑)。都の杜プロジェクトへの参画も、このカフェの空間やコンセプトあってのものですし。参画の決め手は、明確な目的が私たちの考えてることと合致したから、ということです。仙台を上手にアピールすることで、外貨を稼ぐ。それが仙台自体を活性化させる大きな力になると思うし、私たちにとっても自分の商品をいろんな人に食べてもらう機会の創出になる。最初の出発点はそうしたごくシンプルなところではあったのですが、今となってはそこにとどまらない大きな飛躍のきっかけを戴いたと思っています。
「ミティーク」にとっての大きな飛躍。それは、この夏に行われた大人気コミック「ワンピース」とのコラボカフェや、日本最大級のファッション&デザインフェスタ「rooms」への出展、そしてJALの羽田―福岡線ファーストクラスにて提供される新作ケーキ「レッドジュエル」など顕著だ。
誠也さん──このプロジェクト参画によって、目指すべき「ミティーク」が本来あるべき姿というのが見えてきたんですよね。「ミティーク」は、お菓子とドリンクをただ作って売ってる事業ではない。お客さんに、満足と感動とやすらぎを得てもらうのが私たちの事業だ、と。だから、ここはそれに必要なファクターを創作していくラボラトリーでありたい。他の誰にも実現できないクリエイティブなものを作り出していくための場所として、ショーケースに並ぶケーキのクオリティをもっともっとあげつつ、仙台圏以外のお客さまにも商品を届けられる体制を整えたい。
俊也さん──その体制が完成した時に、「ミティーク」はもっと花開くんじゃないかな、と思っていて。そのためにプロジェクトのメンバーにもいろいろ相談させてもらっているのが今ですね。正直、自分としては今、ジレンマも抱えているんです。たくさんのご要望や課題をクリアするのに精一杯で、本来自分が目標にしているケーキひとつひとつのクオリティに対する追求という面では、停滞してしまっているかもしれない。そうした仕事が増えたぶん、スタッフたちの労働時間や体力にも配慮が必要だし、自分自身の創作のための時間も少なくなっている。この状態をどう改善していくか、ということを誠也さんともよく話していたのですが、それもまたプロジェクトにまつわる課題としてみんなで解決法を探していけば、これから先同じ悩みを持ったプロジェクト参加者への良い実例作りにもなるんじゃないかな。
誠也さん──うん。さまざまな業種の人たちが束になった時、もっといろんな力が出し切れると思うんですよね。私たち自身、技術力の向上や視野が広がるきっかけを与えてもらって、私たち自身も気づいていなかった私たちの可能性に気づかせてくれたのが、このプロジェクト。そうしたたくさんの知見を共有していくことができたら、仙台というまちの魅力の掘り起こしに繋がると思うんです。仙台には、京都に負けないぐらい仙台にはならではのプライオリティがある。伝わりきっていない魅力や、ちょっとしたきっかけで生まれる新しいものがまだまだあるまちだと思っていますから。